開業奮闘記


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開業奮闘記


25回目 「開業前夜の狂乱の日」


テスト前になんで徹夜をするはめになるのか。学校の前夜祭の前になんで遅くまでトンカチを握ることになるのか。まあ、同じことが、私のクリニック開業前日にもおこりました。おかしいな
あ、余裕をもってやっていたはずなのになあ。

「先生、この書類だしていますよね?」
「えー。なんの書類ですか?初めて見ました」
などというやりとりが電子カルテを担当してくださっている方としたのはもう18時過ぎだったと思いますし。同じく電子カルテの担当の方に「院内で使う薬」の登録をしてもらったのは19時を回っていました。はやく登録する薬を教えてと言われていたのに、放置していたのは、はい、私です。
ちなみに彼は、盛岡から来ているので、今日中に盛岡に帰るとのこと。
本当にごめんなさい。

一方、内装のシャアこと播間社長(第22回目参照のこと)率いるジオン軍もしくはネオジオン軍
は、クリニックにある「クラゲの水槽」のクラゲが癒しのはずなのに、全然癒しっぽく泳いでくれないので、22時近くまで格闘。しかし、さすがのシャアさん、遅くまでの仕事も楽しそう。
彼ひとり疲れが見えない。さすがシャア。

私と言えば、その日の午前は内覧会で患者さんの話を無料で聞く仕事をして、
その後は、取りこぼした仕事をやっていたので、12時間以上は働いているので、頭が回っていません。「あしたから本当に始まるんだよね?」と実感がわきません。無料とはいえ、内覧会で患者さんの診察をしたのでなんとなく、診察は大丈夫かな、と安易な考えに着地してしていたことはうっすら覚えています。

後半はみんな壊れ始めて(22時ころ)、椅子が○○万円だったとか、電子カルテが○○円万だったとか、なぜか、値段の暴露大会。そんな様子を「記念になるねえ」と写真をとりまくる夫。そんな夫に切れる元気もない皆。まさにカオス。そんなこんなで、と不安になったらおしまいだから、とりあえず突っ切れ―!なんとかなる、なんとかなる、と思っていたら、何とかなったような気がする。何とかならなくても、患者さんが困らなければ、まあ、良いわけなので。

結果、翌日、無事開業はできました。ありがとうございました。


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24回目 「セミナーの駐車場問題」

 開業直前9月の試練は「セミナー」でした。セミナー自体は心配していませんでした。教科書とか症例は世の中にあふれているし、自分の経験もあります。問題は「駐車場」の数、でした。

ところで、私のクリニックは「院内調剤」です。患者さんが2か所行かなくていいことや、違う説明を受けて混乱しなくていいこと、あとは院外よりは安く済むこと、なにより「あら、精神科にいっているのね」と思われることを気にしている患者様の心情を考えて、院内調剤にしました。クリニックとしては全く儲からないシステムですが、それよりも大事なことがあると思って院内調剤にすることは迷いませんでした。

院内調剤だと薬を無限に置けません。そのため、よく使う薬とかこの薬はまず使わないとか選別して「薬の卸さん」から買うことになります。卸さんも沢山あるのですが、もし、地震がおきてどこかの薬がストップした、なんてことになると大変なので、私は、4つの卸さんから均等ではないのですがお薬を買っています。これなら、どこかがストップしても、どこかが大丈夫だからです。

前置きが長くなりましたが。この卸さんの中で、すごくやり手の方がいます。初めてあった時、「猛禽類の目だわ!」←褒め言葉、と思ったくらいでした。「何か困ったことがあればいってください」とは言われていました。そう、こまったことは、セミナーを開催したときの駐車場の数でした。山王で駐車場…当てがなかったときに、「猛禽の目」のやり手の卸さんを思い出しました。そして即メール「たすけてください」。

すると近隣の駐車場に話をつけてくださって、結局、1回目のセミナーは40人、2回目80人でした。80人って!!!!車の誘導してくださった卸さんと夫は「たのむー今きたらこまるー」と念じながら誘導していたそうです。公民館など借りれば済むと思う方もいらしたようですが、そもそも、開業前にこのクリニックの内装や雰囲気の中でセミナーをすることにこそ意味があったので、その選択肢はありませんでした。セミナーの内容は簡単に感じる人と難しく感じる人がいたようでしたが、学校の授業と同じで、わたしとしては真ん中を狙えたことで良かったと思いました。

なにより、駐車場が足りて良かった…。本当によかった…。セミナーに来てくださった皆様、そして、協力してくださった卸の皆様、と、夫に、感謝しています。


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23回目 「茶髪のホスト系看板屋さん」

  「かのこメンタルクリニック」の看板は非常に目立つと思います。すべて凄腕の看板屋さんの仕業です。なんだか私のクリニックはいい意味で非凡な方が多く関わったと思います。 看板屋さんもそうでした。去年の8-9月(平成25年8-9月)には、オープン看板(平成26年10月にオープンしますよ、という看板)を立てなくてはいけませんでした。

コンサルの方の紹介で、看板屋さんと、まず電話で初対面シーン。私が「秋田であまり思春期を気軽に診るところもないので他の年齢ももちろんだけど思春期もみられるところにしたい」と力説すると、「思春期で具合悪くなる子なんているんですか?僕の時はなかったなあ~」はあ?ええ?ふつう顧客に話し合わせると思うんだけど変な人だなと内心おもいつつ、秋田は自殺していても表ざたにならないものよ、と、お話しすると納得した模様。「この人、納得しないと仕事しない人なのかな?」と電話越しに思いました。後に知りましたが、彼はとてもタフで修羅場もくぐられ(ストリートチルドレン的な経験もあり・・・って書いていいですよね?本当はそのほかにもあるけど)「不登校とか、甘えんな、働け」的な考えの方だったようです。まあ、路上生活で生計建てた経験をしている16歳からみたら恵まれていますからね。

2度目は実写でご対面。第一印象はホスト?茶髪で年齢不詳。しかもサロンで焼いているのかな?しかし大手のかなりトップの方らしく…。ごめんなさい、すごくチャラくみえるんですけど、でも仕事のできるオーラが混じって、もう、そのギャップに全くついていけない私。しかも髪が傷んでいるのとか、「絶対この人なにかあるでしょ」と思うと(実際なにかあったし)、気になってなんとなく顔を見て話せませんでした。

さて、彼の看板講座が始まりました。
「看板は大きければ大きいほど勝つ」
「たくさん並んでいるところに立てても景色になるので意味がない」
「目立ったもの勝ち」
まあ、そのほかにもあったのですが、割愛させていただいて。
要するに「似顔絵めだつからつかえ、できれば大きい看板で」ということだったかと思います。
場所は、看板屋さんが1日とか2日とかかけて秋田を走り回っていい場所を抑えるということでした。「地元じゃないのにそんなことできるの?」と思っていたんですけど、あっというまに「これは目立つでしょ」という場所を抑えて、もしくは口説き落として、看板を立ててしまいました。彼も本当に仕事のできる方でした。

看板屋さんとは結構長い付き合いだったとおもいます。地元の人に「看板〇○にたっているでしょ」とよく言われますが、そのたびに、看板屋さんグッジョブ♪と思う私でした。彼以外の看板は考えられないので、今後も長いお付き合いをよろしくお願いします。


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22回目 「内装のシャア」

 去年の8月(平成25年8月)は、内装が始まった月でもありました。母のこともありましたけれども。本来なら、「クリニックの内装が始まる。ウキウキ♪」という気持ちで、内装関係の方とも接するのでしょうが、そんなこんなで、当時は内装の方の印象がないばかりか、名前も覚えていませんでした。本当にごめんなさい。なんか、おとなしそうな人、などと、うっすら思っていた記憶があります。なんでおとなしいとかおもっていたかなぁ。
本当はシャアなのに。有限会社 実創 播間社長という方でした。

8月に始まって8月中に内装は終わると、顔色も変えずに言われたし、
コンサルの人が九州とか西日本にいるために開業の書類で私ができないと
「私、聞いてきます」「私、書きます」「私、持ってきます」「私、持っていきます」
とまるでコンサルのような軽いフットワーク。
てか、何でもできる?しかも早い!まるで赤い彗星のシャアのように人より3倍はやい。だからっていうわけじゃないですが「逆襲のシャアおもしろいから観てください」と勧める私も私である。
しかも、シャアっぽいところは他にもあります。
「こんな仕事俺の仕事じゃないね」と思っても仕方ない仕事をお願いしても表情に出ないところである。私の職業柄人の表情の動きには敏感なつもりなのに全然わからないんです。
実際のシャアは表情にもでないけれど、さらに仮面をしているので、さらに表情がわかりません。そこも、シャアである(※播間社長は仮面をつけていません)。

個人的に、仕事において、フットワークの軽い人は好きなので「彼はできる!」
と私の中での評価はかたまり、何か困ると、とりえず電話してみる感じになりました。

シャアさんこと播間社長がガシガシ仕事をすすめてくれたので、私は8月末の母の手術前にできるだけ母のそばにいることが出来ました。転院もあったし、今思うと忙しかったんですよね。
手術前、なまじ色々はっきりわかるだけに、母は不安だったと思うので、私がそばにいる時間を作り出してくださったことに感謝しています。

仕事は自分のため、目の前の顧客のためにしている意識が強いですが、今回のように私が助かると母が助かるというように、知らない誰かを助けていることがあるんですよね。
そしてそのことを知らないしお礼を言われないこともあるかもしれないけれど、母はきっとありがとうっていう気持ちをもっていると思います。
この場をかりまして、実創の皆様、内装に関わってくださったすべての方にお礼を申し上げます。


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21回目 「10か月で素敵なクリニックをめざして」

 物事はいいことも悪いことも、結構いっしょくたにやってくる…と思っていましたが、
8月はまさにそうでした。

8月は以前いた病院も、同業で開業するのに在籍するのは
難しいところもありましたし、やめて、そろそろ開業に本腰を入れはじめていました。


「開業するなら山王がいいわ、きっとはやるわよ」とか「お金出すわよ」
「おそうじくらいできるわよ(元精神科看護師長経験あるのになぜ掃除?)」
と、ちょっと前までは、鼻息荒く、話していた母が、
なんとなく元気がなくなったのも8月でした。

「歩くのが辛いから手をひいてくれない?」とか
「冷やし中華のふたがとれないからとって」とか、最初は甘えているのかな?
とも思ったのですがあまりに変。だいだい、私以上に「開業」とか大好きなのに、
このテンションの低さはおかしい・・・。
うつ、なのかなあ?とおもったけれど、微妙に診断から外れるし、
認知症かと思ってテストしたら点数がいいし。


たまたま、私は用事で東京に行かなくてはならなくて、
後ろ髪ひかれる思いで言って帰ってきたその翌日「歩けない」
ということで母が救急搬送(内科医の夫のいる中通へ)。

昨日まで歩いていたというのにそんなに、急に何か来るかな…
とMRIの結果を待っていると、MRIをみた夫の顔がこわばっている。

たいていのことはドライに流す夫の表情を見て、「あーこりゃなんかあるなー」とおもったら、
脳外科の教科書に載るような、グリオブラストーマというでっかい脳腫瘍が。

母には黙っていようって思ったのですが「左手が動かないのよ、右に腫瘍があるんでしょ?」
と速攻ばれてどうフォローしたものか。

でも、悪性だっていうのは言わないでおこうとおもったのに
「もしかして悪性でしょ?進行早いもん」そうなんだけど・・・。

さすがに予後10か月くらいという知識はなく幸いでした。

こういう時は、母の昔の職業がうらめしい。

解剖とか再試だったくせに…。


とりあえず、この日から、ずーっと、私はクリニックのことと
母のことを2本だてでやるようになりました。

医者という職業は悲しいけれど人の死には普通の人よりは
慣れているのでしょうし、精神科医という仕事は感情をダイレクトに出さない仕事のために、
母の前で泣いたことも、悲しい顔をしたことは、幸いありません。

自分の職業にちょっとだけ感謝しつつも、抑圧された「悲しい気持ち」
ってどこにいくんだろう、とは思いました。

その時、「クリニック(しかも患者さんでにぎわってるクリニック)を
母が生きている間に見せる」というのを目標に「悲しい気持ち」は切り替えて、
完全に戦闘モードに入ったのでした。


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20回目 「人材は宝」

 むかし、中国の三国時代がありました。

劉備のおさめる蜀は徳の国として、今も人気があると思いますが、
結局、曹操の収める魏が最終的に圧倒的に有利だったのは、
「人材が豊富だったから」ということに尽きると思います。

一人だけ優秀な人がいる、というのでは、組織はうまく動かない、ということだと思っています。

私は、自分のクリニックを開業するのに、当然ながら、資産を投じているわけですが、
そういう目で「雇用」ということを考えると、これは、雇う側にとっても、
結構リスキーなことだったりします。

「もし、雇用者同士で陰険な嫌がらせとかあったらどうしよう?
それで、大切な診療とかがうまく行かなくなったらどうしよう?
私が注意していいものなの?でも、仕事やめてって言えないんだよね・・・」などと考えます。

その逆に、もし自分の理想をキチンと理解してくれて、多少のずれがあっても、
同じ方向を向いて仕事していけたら、それはそれは本当にラッキーなことです。


そんなような、思いを抱いて、平成25年5月から募集していた
医療事務さん等の面接を7月に行いました。

はっきりいうと、結構な倍率だったので、「この方、いい人そうだな~」とおもっても、
経験とかその他のことで、書類の段階で落とさせていただいた方も多数でした。


面接というのは、される方も、する方も、緊張するんだ、と初めて知りました。

私は、面接官の立場は初めてでしたが、面接されたことは何度もあるので、
面接官にむかついたことならそれこそ何度もあります。

今回のクリニックの面接は、内科医の夫が厳しい役、院長の私が優しい役、の役割分担で、
反応を見る感じになりました。

よく、「面接の時、にこにこ優しい人が本当は悪い人」といいますが、
キツイ言い方をしたときの反応より、優しく話しかけたときの方が、
やっぱり人間はほっとするのでしょうか、素が出るようです。

そこのところをじーっと見ている私は、たしかに、あまりいい人ではなかったかもしれませんね。

いずれにしても、こちらも、本気で考えて、観察して、という感じなので、
全員面接し終わった時は、クタクタになっていました。

しかし、おかげさまで、嫌がらせなんてとんでもない!結果的に
仲の良い職場なので気持ち良く仕事ができています(H26年1月現在)。感謝!


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19回目 「認知行動療法(にんちこうどうりょうほう)」

 かなり落ち込むようなことがあった頃の話です。

自分に否があるとか、ああすればよかったとか、仕方なかったとか、
いろいろ、煮詰まって、布団にくるまって落ち込んでいました。

その時に、ちょうど、以前申し込んだ「認知行動療法」の講習会が東京でありました。

認知行動療法って、権威の先生から言わせると
「なんにでも使える」「しかも16回で」というスキルというイメージでした。

私も、本は3冊くらいかったものの、普段行っている面接治療との大きな違いがわからず、
挫折していました。

今回の講習は、人が教えるものだし、
ロールプレイもあるので習得できるのではと期待していました。

ただ、事前宿題で「何に落ち込んだか」「その時の気持ち」
「でも、そうじゃない一面もある」みたいなことを書く欄があり、
当然、「いままさに落ち込んでいること」に焦点をあてる元気はなく、空欄のまま参加しました。

こんなに落ち込んだ私を治せるのかな、病気じゃないけど、と思いつつ、
「認知行動療法」の講習会に出かけていきました。

まる一日缶詰ですが、なかなかためになります。
ふんふん、と聞いていると、「宿題」があったことに気が付きました。

隣の医師と「実は書いていないんです」とお互い暴露。
本当に医師にかかっているなら別ですが、たとえ相手が医師とはいえ、
初対面の相手に「今まさに悩んでいること」は書きにくいものです。

そう思うと、普段の診療で、医師というのは、患者さんにいかに「こころをひらくこと」を期待し、
目をキラキラさせていることか(少なくとも私は)、と反省しました。
こういうものを「書いて考えようね」という風な関係になるまでのやりとりこそ、
本来大切なのかもしれないと、考えさせられた講習会でした。

時には、自分が、完全に患者の立場になるのは、医師にとってはいいことだと思います。

個人的に、認知行動療法は、習得できたと思っています。


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18回目 「かぜ薬よりも何よりも」

 2週間たっても治らない風邪。
勤務先の病院にいくと「先生、まだ、風邪なんですか?」といわれます。

でもあまり長く引いていると、もう同情っていうより迷惑、よね。
患者さんにうつるかもしれないし。

しかし、私より免疫が落ちている人はいないらしく、誰にもうつりません。
80代や90代の方にもうつりません。

「風邪もなあ、精神的なことでひくから、開業のストレスで風邪という身体化をしたのかしら?」
などと、自分をあてはめてみたりして。

いやいや、実際、受験のころ、模擬テストというと、
心理的な理由で風邪をひいていたことがある私なのです。

ま、20歳すぎてからも山ほどテスト受けたけど、熱なんか一度もだしませんでしたけどね。

「そっか、もうそんな、繊細さは無くなったとおもっていたけど、根本はかわっていないのかしらね?
開業という大事業に押しつぶされそうな、か弱い心が、風邪という表現をとったのだわ」などと、
アンニュイになってみる、私。

でも、風邪はひいても仕事を休むわけでもなく、開業関係のことを停滞するわけでもないので、
身体がしんどいだけで…本当にただの風邪の可能性がきわめて高い気がします。

そんな、ある日、私はまた、ちゃんちゃんこを着て、
ぶーぶーと鼻をかみながら、ホームページ用の文章を書いていました。

すると、宅急便が…。まさか、凄腕Oさんが凄い宿題をおくってきたわけでは?
と、ちらっと思いましたが、差出人は秋田高校時代の友人。
「歌舞伎同好会」の親友です。

さっそく中をあけてみると、「あー!玉三郎さんのTシャツだっ!」と、中から、「国宝」が。

その日はしばらく、風邪のことはどうでもよくなりました。


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16回目 「ホームページがアップされた日」

 クリニックを開業すると決めてから、
その前に勤めている病院の外来患者さんには早めにお伝えしようと思っていました。

なぜなら、今までの主治医がその病院からいなくなるということを機に、
ちがうクリニックや病院を希望する方もいるからです。

しかし、そうすると、初診まで2か月くらい待たされてしまうことが多いようです。

以前、私も、前主治医から患者さんを引き継いだとき、
「前の先生には何十年もみてもらったから、その先生じゃないと意味ないから」といって、
違う近いところへ行きたいという方が結構いらっしゃいました。

でも、数か月の予約を待っている間に、私に慣れて、
なんとなく、行かなくてもいいかなーという流れになったりしました。

なので、もう、はやくから、お話ししていました。

患者さんも選んだり、悩んだりする時間が必要です。

今の病院にそのまま通い続けるのか、
主治医を変えないのか、どっちもやめて評判のいいところに行ってみるのか。

自分の気持ちを話せる医者なんて、そう、簡単にきめられませんよね。

私としては、やっぱり、患者さんには好かれたいし、
診続けて良くしていきたい、という思いはありますから、
本音を言えば、「新しいクリニックにきてほしいなー」とは思います。

でも「どの選択をしてもよいですから、ゆっくり考えて下さいね」
といって、選択の一つとして、「かのこメンタルクリニック」も紹介しています。

中には、二つ返事で、「いくいく!」という方もいて、
毎日、いつホームページがアップされるのかチェックされている方もいます。

「先生、まだ?」と診察のたびに言われていました。
今日も「もう、アドレス、おぼえちゃったよ」と話して笑っていました。

それで、家に帰って、パソコンをあけてみたらば、
凄腕Oさんから「HPアップしました」とメールが。

真っ先に、今日、診察した患者さんの顔がうかびました。
なんだか、気恥ずかしいですが、喜んでくださる方がいるなら、私もうれしいです。


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15回目 「求人広告をかく、の、巻」

 前回の奮闘記は、「杮落し」に想いを寄せて、自分でも、
想い出して涙ぐんだりしていたのですが・・・今回の奮闘記は、
いってみれば、サザエさん的な?感じです。

わたくし、アルバイトっていうものは、したことはあるんですけど、
求人広告みてじゃないんですよね。

医学生の時に、長期夏休み中、「薬剤師免許生かそうかな」
「薬剤師なのに調剤薬局経験ないのもなんだしな(製薬会社の学術経験ならあった)」
とおもって、目に付いた薬局に、「1か月、バイトさせてください」と飛び入る20代の私。

事務の方と薬剤師の50代くらいの方は「え?」と思ったようでしたが、
オーナーはなぜか気に入ったようで、
「調剤経験初めてなら、国家資格あっても半額でどう?」と言われ、
それでも、学生バイトにしては、本当に破格なので、
勉強にもなるしーと思って、引き受けました。

別に、過去の、バイト話をしたいんじゃなくて、
求人雑誌をみて履歴書を送って、という形でバイトしたことなかったなあ、と思ったのです。

だからですかね、今回、「かのこメンタルクリニック」の医療事務さんと、
心理士さん(学生でも可)を、募集しようとして、エークラスという雑誌に、
求人申込したのですけど…難しい。

私、ものを書くのは比較的、小さいころから訓練されて、
うまいとか、早いとか、どこに所属しても言われてきたんですけど、今回、
「ど下手じゃん!」と思いました。

まず、必要事項が、字数内に収まらない。

なぜ?

しかも、時給がわからない。

もう、どうしたもんだか…。

なんとか、必要事項がわかったけれど、クリニックのHPアドレスが入らない!!

もーう!ご飯食べないで朝からやっているのに、なぜ?もう2時なのよ!

ということで、凄腕Oさんにそのたびにメールするわたし。

「無理です、はいりません」「HPアドレス入りません」「できません」

あ、無視してくれていいんです。

ただ、どこかに言いたいだけなので。

一人PCと求人申込書の前で、取り乱す私。

エークラスさんには何度も電話するし。

ごめんなさい、きっと、名前覚えられたよね…。

血糖値も下がっていたんだと思います。

なんとか、終わって、ふと、冷静になると、やっちまった感がこみあげてきます。

そんな苦労して書いた求人広告、皆さんの目には入ったのでしょうか?


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14回目 「杮落し(こけらおとし)に、亡き父への『想い』を寄せて」

 ビデオ撮りの話が続いて、ちょっと、私のこころもダメージうけたので
(あまりの自分のビデオ移りすべてのダメっぷりに・・・)、
閑話休題で、「杮落し」の話をします。

開業と杮落しがどう関係あるのか、と思われた方も多いでしょうね。

私にとっては、非常に感慨深いものが、あります。

私にとっての、歌舞伎は、亡き父が小学2年の時に連れて行ってくれて、
それ以来の私の一番の趣味になったものです。

そう頻繁には観ることはできないしとても贅沢でご褒美のような趣味でした。

高校の時は、歌舞伎が縁で親友になった友達と「歌舞伎同好会」まで作ったりしました。

歌舞伎というと、どうしても、父を想い出すし、
「自分が当然医師になる」と思っていた頃の、子供の頃の感覚や感情が、
当時のまま押しよせて、切なくも懐かしくなるのです。

私は、自分が一度、医学部受験を失敗した後、
大好きだった歌舞伎を観るのを封印しました。

資格がないと思ったからです。

医学部に入っても父が亡くなり、申し訳なくて観る気になりませんでした。

「医師として一人前になってから」と言っても、「一人前」なんておこがましい。

一生修行の世界でしょう。自分への戒めの意味もありました。

でも、どこか区切りをつけて歌舞伎を観に行きたいという気持ちもありました。

精神科医の父への供養のような意味も込めて…。
それが、ちょうど、私が開業をぼんやり考えだした頃、杮落しの宣伝も激しくなって
きて、 「もう、行ってもいいのかな」と思いました。

行くなら、好きな役者さんの出るものは全部見て、父の形見の着物で行くと決め、決行。

4月と5月に行きました。

時間がないので2部連続で観たり、仕事終わって最終便で東京行ったりで疲れましたが、
いろんな意味で、行けてよかったです。

昔、20年も前にみた同じ演目「先代萩」の時は、
(もともと悲しい話なのですが)想い出して泣いてしまいました。

以前主役を務めた方はもう亡くなっていて時の流れを感じました。

でも、他に、すばらしかったのは、「廓文章~吉田屋」という
可愛いお話しがあるのですが、父と見たときとおんなじ主役2人で観られたことでした
(ちなみに、片岡仁左衛門さん、坂東玉三郎さん)。

最後、大団円を迎えるこのお話し、私も心から幸せな気持ちになりました。

本当に、20年前にトリップしたような、幸せな気持ちになりました。

歌舞伎界もいろいろな方が亡くなって、世代交代の部分もあるでしょう。

父を亡くしている私は、どうしても、そういう気持ちで観ています。

でも、反面、父と一緒に見た役者さんが、同じ演目を素晴らしく演じているのをみると、
郷愁というか、父が隣にいたころの風景を想い出し、そういう気持ちも、
…そう、父と歌舞伎を観ていた頃の、純粋な医師への憧れのような気持ちも、
同時に、大切にしていこうと思うのです。

ちょうど想い入れの深い歌舞伎座の杮落しの年に、私も開業。

縁を感じます。

ともに、受け継いだものと、新しいものを大切にしていく世界。

杮落しが成功したように、私もかならず、成功させていきたい、と思います。


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13回目 「ビデオの巻 参 やっと本番へ・・・」

 ビデオ撮りにそなえて、やっぱり、誰かの見本を観たいと思いました。

そこで、観たのが、「ジョブズ」ですね。
若いときと、もう貫禄が付いたころのものと。

彼は、プレゼンテーションがうまいと言われています。
英語だし、私とは全く立ち位置も違うんですが、気が付いたことがありました。

ジョブズはわざとラフな格好をしますね。イメージ作り?
私で言えば「白衣」や「髪型」などでしょうか?

あとは、大事な単語は、すごくゆっくり話しています。

しかも繰り返す。つまり、内容がわかりやすく簡潔なのだろうと思います。

若い頃の方がスライドもなかったし、原稿を読みながらだったけれど、私は好きでした。

以上のことを踏まえて、原稿を書き直しました。
私が、今までで一番感動したスピーチは、戦後、
東京オリンピックを決定させるに至ったスピーチです。

あれは、なんというか、「想い」とか「心」がちゃんとあり、
それを表現できていたからだと思います。

さて、いろいろ、準備して、己自身がとってみました。
・・・高さとか椅子とか机とかない中で撮影するのって難しいものなのですね。

仕方ないので段ボールを重ねて脚立替わりにしてみます。

だとすると、私の位置は座ると低すぎ、立つと高すぎる。
しかも、デジカメは1個壊れていることが判明。

ぎゃあ、ぎゃあ、いいながらも、白衣になって、「開業あいさつ」のビデオをとりました。

自分で考えた文章とはいえ、暗記できないし、すぐ下向いて原稿みてしまいます。

3回くらい、とり直しをしました。

そのたび自分のしゃべりや表情をみるのだけど、
「がっかりするほどの、進歩のなさ」を確認…。

むしろ、一番、最初に何も考えずに、とったのが良かったのでは…という感じ。

…ジョブズってすごいね。28歳のスピーチとかすごかったよ。

私より一回り下の時なのに、あの自信…アメリカってことを省いても、
やっぱりすごいんだな、などと逃避ではなく、感心。

なーんか、こういう、「努力したけど、進歩なし」って、一番疲れるな。

3分のビデオだけなのに2時間くらい、あーだこーだ、やっていたら、
夫が「悪寒してきた」と。

私も、肉体というより、心が疲れたので、
「もう、やめとくか」と、ビデオ撮り1回目は終了となりました。

これ、仕事帰ってからは無理だから、次の土日頑張るしかないですね。

うー、試練はつづくのかー。


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12回目 「ビデオの巻 弐 というより座談会と友情」

 半年ぶりに関東の精神科の親友と会いました! 

イン TOKYO!しかも、ホテルで(というと豪華っぽいけど、単に場所がなかっただけ)!

半年前にその友人とあったのは、認知症を日本の権威の先生あつめて教えてくれるというセミナーがあったので、 参加したときに、一緒にご飯食べたきり。

その時は開業とか考えてなかったわけじゃないけれど・・・希望って感じでしたし、
こんなに「ほんぎまり」になってからは、開業の話とかも、メールで細切れにしか話せなくて、
お互い話したいことでいっぱいでした。

彼女はちょっと皇室っぽいといいますか、清子さまに雰囲気が、
にているので、ここでは、簡易的に「サーヤ先生」と呼ばせてもらいます。

彼女、実際よく間違われるらしいですし(きっと、本人、これ読むと思うんだよね、ごめん、ごめんね!)。

ということで、関東精神科医代表サーヤ先生と秋田内科医の夫と秋田精神科の私とで、
現在の医療についてという感じで座談会になりました。
白衣も持って行ったし、ビデオ撮りもしたかったですけど、
「ご飯食べてからにしようよ」とか
「ビデオ?えー、みたい、みたい、かのこさんビデオみたい」とか
「え、ちょ、いきなり?今東京ついたばっかりよ」とか
「まず、近況報告ききたいな」とか、騒いでいるうちに、
「もう、時間限られているから、ご飯食べながら、なんか話そう!」ということになりました。

せっかくだから、座談会方式で、ということになりました。

私はテレコを用意していたので、まわします。

3人とも「関東と秋田ってちがいってなんだろね」とか
「病院にAEDっておいている?精神科の場合どうだろう?」とか
「内科連携の話」とか「思春期事情」など、まじめな話をしている途中で、
愚痴とか、「あ、これ、私いったとか場所とかって言わないで」
「あのさ、○×先生って知っている?どういう人?」というような、
ただのおしゃべりも、内容も混じり、あっという間に、終了となりました。

開業のビデオをとることについては、一歩も進まなかったのですけど、
サーヤ先生も「しゃべったりしている雰囲気は、また写真とはちがうから、
患者さんはあれば安心するよね」と、ビデオについては賛成意見でした。
背中を押してもらえたみたいで、ちょっとほっとしました。

仲良し同期の前で、ビデオ撮りって、
たぶん、患者さんの前で話す雰囲気とちがってしまうと思うので、
とらなくてよかったかな…と後から思いました。

親友は「かのこさんなら、大丈夫だよ」と優しく励ましてくれました。


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11回目 「ビデオの巻 その壱」

 4月中旬から末にかけて、こけらおとし、に行き、
「いやあ、新歌舞伎座もいいわねえ」などと、現実逃避じゃなくて、
心の栄養補給しておりました。

高校時代からの「歌舞伎同好会」の親友と、
歌舞伎の批評をしあったり、お土産交換したりして、幸せをかみしめていると、
ある日、凄腕Oさんからのメールが(あ、メール自体は毎日何通もやりとりしています)。

「先生、先生が考え方や患者さんへのメッセージを語る姿を、
ビデオどりしてください、白衣で。3本くらいとってください」

・・・うん、ちょっと、動画はあったほうがいいな、
って私もおもっていましたよ。声とか表情とか雰囲気って写真だけじゃわからないし。

電話だけでもわからないものだし。

いやいや、あいかわらず、容赦ないな、Oさん。

どうもありがとう。でも、ひとこと言わせて!
これ、わかっていたら、ダイエット中断しなかったよ!

テーマとか台本は、ほぼ1日で作ったものの、学会と同じで、内容が良くても悪くても、
プレゼンテーションでだいぶ感じが変わるものなんですよね、こういうのって。

あー、どこかに、よい見本はないだろうか?
ん、オバマ大統領?男だしな・・・。

しかも大統領演説みたいなことする精神科医、いやすぎでしょう。キング牧師?
この人も男だが・・・。だいたいアメリカっていう時点で、アグレッシブすぎて、
メンタルクリニックのほんわかした雰囲気と相容れないような・・・。

前途は多難であります。

これ、5月の連休前の話です。実は5月は、 関東の精神科医の親友と会う約束をしていました。

「友達に見てもらおうかな」と思っています。

でも、本人には、まだ、内緒にしています。

どうせデジカメもっていくので、二人で白衣で写真とりたいし、
ミニ座談会やろうかと思って、雰囲気だすために「白衣持ってきてね♪」
とメールをいれたところ、「何が起こるの?いったいどうしたの?」
とおびえたメールが返ってきました。

ふふふ、いまから、報告が楽しみです♪


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10回目 「こけらおとし 帝国ホテルの巻」

 4月末、歌舞伎座のこけらおとしに行ってまいりました。

着物で。

・・・というと優雅でしょうが、いやいや、優雅なつもりだったんですが、この週は大変でした。

なにせ、凄腕Oさんとのスパルタがあって、仕事もあって、仕事おわってから最終便で、
東京に行ったんで、ろくにこの週は寝てなくて、くたくたでした。

よれよれな感じで、夜10時に帝国ホテルにチェックイン。

すると、ボーイさんが「おつかれですか。大変ですよね、遅くにありがとうございます」
と重い荷物を持って、まぶしいほどの笑みを向けてくれます。

わたしは、ほおっと癒される気分でした。

翌日、出かけようとしたときも、掃除の係りの人が
「おでかけですか?いってらっしゃいませ」と丁寧にあいさつします。

なんだか気持ちいい。

この時の私は、「こけらおとし」という大事な大事な趣味
(小学生からの歌舞伎ファンであります)
があったのですが、「開業」ということが頭を占めていました。

何を見ても、「開業」と結びつけます。

「帝国ホテルで働いているボーイさんや掃除の方が、医療事務やったら無敵だよなあ」とつぶやいていました。

「もう、今からでも働けそうだし、すっごくはやるだろうね、私だって行きたい、そんな病院」
と話していると、横から夫が「ホスピタリティーって最近言われているからね」と言います。

いわゆる「おもてなし」ですね。

だいたいにおいて、お辞儀の仕方からして違うし。

よく気が付くし。

声のトーンも違うしな。

品があって、やさしいし、「もてなされてる」って感じがする。

医者がやると慇懃無礼になりそうだけど、こんな受付事務素敵すぎるだろう、
と思いつつ、観察しまくっていました。


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9回目 「開業って大変だあ ゴルゴ13のような値切り」

 前日23時まで、Oさんと勉強した感じの私と夫。

翌日はテナントにて、いろんな人とあうことになりました。

某銀行の方、設計関係の方、税理士の方。そこで、Oさんの値切り交渉が入ります。

「競合相手いますから(わかってますよね)」「(会話の続きで)もっと安くしてくださいよ」
なんだろう、この、呼吸するみたいな値切りは。

しかも、ゴルゴ13なみに狙い外さないぞ。

午前中、寒いテナントの中で、私は、いろんな方から名刺をいただき、午後へ突入。

近場のスターバックスへ。
あの、秋田ですから、4月も寒いんですけど、雪も降った月なんですけど、
Oさんは、半そでになり、下はスウェット姿で、いろんなところへ電話をかけまくります。

ふっといなくなったと思うと、メールをしたり、コピーしたりしています。

スターバックスで、電話で看板の人と話し、直接あったのは、
卸さん3人ほど、印刷会社や広告関係の人ともお会いしました。

すいません、もっとお会いした人いたと思いますが、
電話だったり、直接だったりで、頭がパンク状態に。

開業って、ひとりじゃない、いろんな人とかかわるのだなあ、としみじみ思いました。

そんな忙しい中、Oさんの電話はかけているか鳴っているか状態。

「もうちょっと安くなりませんか」「安くなりますよね」「競争ですから」などと、
ズキューンとOさんの、値切りアサルトライフルが火を噴く。

ゴルゴだけに失敗はない。

しかも、本物のゴルゴとちがうところは、弾が1つじゃないところである。

何発も打つ。

これに打たれたら、秋田県人は値引いちゃうよね……と
値切られる方に感情移入しながらも、ほれぼれとOさんをみていました。

いや、なんでもそうですけど、無駄のない動きって美しいですよね。

スポーツでも手術のような医療行為でも、程度が高いほど美しいもの。

値切り交渉もそうなんだな、技術というか技なんだな、と知った一日でした。

そして、Oさんと会えて僥倖だったと本心から思えた一日でした。

意外だったのは、Oさんスマホじゃなくてガラケーなんですね・・・。

この日で、一気に、開業への道筋がたち、やることがクリアになりました。

ここまできたら、私のできる仕事を一つ一つ丁寧にやるだけ。

でも、一番大切なのは、いつでもどこでも、
今目の前にいる患者さんを精いっぱい診ることですけどね。


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8回目 「開業って大変だあ 凄腕Oさんとの長い夜」

 いよいよ、開業コンサルタントの凄腕Oさんと、直接会う日がやってきました。

4月なのにまだ寒いある日の夜です。

私も夫も仕事を終えてから、軽く食事をすませ(食事はいいので仕事を、という要望のとおりに)、
待ち合わせ場所に向かいます。

義理の母(姑)は私の開業には大賛成ですが、東京に住んでいて、
時々、開業の不安なんかを電話で聞いてくれていました。

その話に、頻繁に登場するOさんと、メールだけで面識がないことを心配していました。

ま、実際、医師を狙う「振り込め詐欺」だとか
「オレオレ詐欺」だとか何度もかかってきていますからね。

Oさんはコンサルタント会社の社長のはず……
待ち合わせ場所で、社長っぽいひとを探しましたが、いません。

電話してみました。

「あーもしもしー」って隣の男性が電話に出ました。

…ああ、…あなたでしたか。

なんか、パリッとしたスーツにピカピカの靴で髪なんかピシッと
まとまっている人を想像していました、ごめんなさい。

すごくラフないでたちにスニーカー?で、
髪はきっと忙しくて切る暇がないんだと思いました。

その日の夜は、我が家の一室で、電子カルテのデモをみました。

最初「電源があればどこでも。ファミレスでもいいです」と言われたのですが、
電子カルテをみて、家に指定して良かったと思いました。

この大きさ、目立ちすぎますってば。

それ以前に、秋田にファミレスはめったにありませんがね…。

電子カルテ自体は、ほれぼれするほど使いやすく、内科の夫も、私も、うっとり。

診察時間の無駄が省けそうな感じです。

電子カルテのひとが去った後「今日はこれで終わりかなー」
とおもってからが、長かった……。

「今のうちに色々決めてしまいましょう」Oさんは、
10月オープンまでの詳細なスケジュールやプラスアルファ―で
しなくてはいけないことを、次々と提示してくれました。

そして、おもむろに、「この先生は、似顔絵をつかったんですよ、ロゴもいいですけどねぇ」
と成功例を話しつつ、ずいっと「原嶋華乃子(私)のものらしい似顔絵」を差し出します。

たまたまB5だったこともあって、迫力が…。

わたし、第7回くらいに、書きましたよね、「もう恥とかはすてて悟りの境地に入った」と。
この似顔絵が看板とかチラシとかに書かれることを想像し内心悶えながら、
「どうぞ、効果的に使ってください」と頭を下げる私。

この後も、話し合いは続きました…。

学生のときに誰かのうちにあつまって勉強したことってありませんか?

この日は久しぶりにそんな気分を味わいました。

ただ、友人同士で勉強すると、勉強時間より休み時間が長くなってだらけるのが常ですけど、
この日、ノンストップで23時まで集中していました。

最初に「ご飯でも」なんて話していたのに、
この日、私がOさんにふるまったのは、紅茶一杯だけでした。


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7回目 「雪解けの4月 Oさんとの出会いの4月」

 さて、開業コンサルタントの凄腕Oさんの話はところどころで出てきました。

興味、ひかれますよね?出会い方としては、私の人生でワースト3に入る
ダメな出会い方をしてしまったのですが、相手の方は全く気にしていない様子。
おおらかな方です。

以前、Oさんはスパルタだと言いましたが、具体的なスパルタ具合についていえば、
1つは、いろんな書き物とかをメールで送ってくるところでしょうか。

私の長所は少ないですが、小・中学校の頃から会社、医局に至るまで、
文章を書くのは早いと言われていました。

実際、文章書くのは大好きなので、次はどんなテーマ?ワクワクという感じでした。

・・・これは、問題なかったのですよねぇ。

でも、もう一つは、「本人は恥ずかしいけど目立つこと」
を当然のように要求するところでしょうか?
たとえば、「HPの自分の写真」「HPに載せる論文」「載せる自叙伝っぽい文章」
などの要請・・・別に風紀的にも倫理的にもキチンとしていることだし、
患者さんの目線からみると必要なことなのですけど、
なんか、目立っちゃって、どうしよう、とおもうことが!

学芸会で、海草とか道端の草のその他大勢だった自分が、
ある日、お姫様になって演技している感じ?

開業した他の医師は平気だったのか、聞いてみたい・・・。

ボクシングのジョブのように、時々そんなことがあるので、Oさんと会う頃には
「実際にお会いしたら、きっともっと凄いことがあるから、恥ずかしいという気持ちは捨てよう」
「患者さんのためのクリニックなのだから、流行らなければ意味がない。
そのためにはなんでもしよう」という悟りの境地にいました。

・・・正解でした(⇒題8回参照!)。

4月半ば、Oさんと会うということで、当然こちらは、日ごろの感謝も込めて、
「何かおいしいものでも食べながら」と提案してみると
「食事はいいので仕事しましょう」的なお返事が。

と、同時に、秋田でやらなければいけないことのスケジュールがおくられてきました。

なんという仕事人! Oさんと会う日はもうすぐそこ。嵐の予感です。


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5回目 「コンサルタント凄腕Oさんにあいたいな」

 開業するときは、ふつうコンサルタント会社を頼むものだと思っていた私は、
MRさん(お薬の宣伝や効果などの情報提供をしてくれる人たちの総称)に、
何気なく聞いてみました。

「いやー、秋田では、あまり聞きませんね」「・・・」
「先生、開業のご予定でも」「いやいやいやいや、聞いてみただけですってば」
などというのどかなやり取りの3月半ば。

秋田は相も変わらず、雪も降り、雪も解けない日々。

成り行きなのか運命なのか、コンサルタントの凄腕Oさんに、
面倒を見てもらっている私は、大抵のことは安心していたが、1つだけ不安なことがありました。

実は、私は、一度薬学部をでているのですが、その大学が東海地方にあり、
北は北海道から南は九州まで人が集まる大学でした。

そこで、いつも議論になったのが、「吉本興業は面白いか?」という話題。

この話題になると西日本の人は「めっちゃ、おもしろいやん」と言い、
関東以北は「面白さがわからない」と意見が分かれるのです。

それ以外は、関東だの関西だの東北だの九州だのと、違いを感じたことはありませんが、
この感性の違いはなんだ?なんなんだ?

「凄腕Oさんは、メールでも電話でも凄腕と伝わってくるほど安心だけど、
もし、この吉本興業的な感覚の違いが、開業に致命的になったらどうしよう?」

不安になった私は、速攻でOさんにメールしました「一度お会いしたいのですが」。

ときどきメールで「疲れて寝てしまいました」などと心配になるコメントをするOさん。

メールが途絶えて、思わず倒れているかと思い、
私が仕事中に電話してしまったことさえあるOさん。

4月半ばに会えるとのお返事をもらい、ちょっとワクワクです(あれ?心配はどうした?)。


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4回目 「だって、秋田県人だもの その弐」

 「ホームページ用の先生の写真を送ってください」

ある日、例のコンサルタントの凄腕Oさんから、連絡が入りました。

ああ、やっぱり来たか…という感じ。

ホームページに写真を載せるなんて、この私が!恥ずかしい、恥ずかしい。

例によって、奥ゆかしい秋田県人である私は、かるく落ち込みました。

東京とか、関東では、クリニックや病院に医師の写真が
載っていないことの方がめずらしいのですが、秋田のお土地柄でしょうか、
秋田では載せている医院や病院のほうが珍しいなあ、と、
ついこの間までは他人事のように思っていたのです。

私情をぬきにして、患者さんの立場になって考えれば、
はじめてかかる医院や病院で、医師の写真があった方が安心するに決まっています。

私は、観念して、できるだけ美しく映っている写真を探しました。

白衣のものというのはなかなかありません。

大体大勢でうつっていたりします。

やっと見つけたのが、約10年前にちゃんと写真家の人がとった白衣の写真。

結構きれいに撮れています。

「これどうだろう?」母に意見を求めると、
「今とあまり変わっていないしいいんじゃない?」と適当な返事が返ってきました。

今と変わらないって、本気で思っていたら、ちょっと心配だな、わが母よ、
と思いながら、内科医の夫に意見を求めてみる。

「はっ?全然違うじゃない、今と。貫禄ないし、
苦労してないし、大体名札が旧姓じゃない?」と一蹴されました。

うん、わかってた、わかっていたけど、私のなけなしの女心ってやつだったんだよね。

改めて、写真屋さんで白衣になって写真をとりました。

現像が終って、開口一番「私、もう、ういういしくないね。あーどこにいったかな、あの若さ」
とぼやいていると、夫が、「だれが、若くて経験のなさそうな医者にみてもらいたいかよ。
ちょうどいいよ」ととどめをさす。

医師としてはいいのかもしれないけど、一応、女性だからね・・・。

翌日、あきらめきれない私は心理士さん(女性)に話をすると、
「今の写真クリックすると若い写真が出てくるとかどうですか?」と真面目に言われました。


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3回目 「だって、秋田県人だもの その壱」

 秋田県人の特徴として、
「値引いたり、値引かれたりに慣れていない」というのがあるとおもいます。

値引き交渉とかできない県民性なんですよね。

秋田は食道楽に着道楽。

お金がないのに金は使う県民性と言われていますからね。

しかも、基本はお人よし。

なので、関西系の商売上手なひとに何か言われると、「うっ」となります。

これは、「どうせ適わない」という心理なんですよね。

秋田の人ならわかるはず・・・。


自称・奥ゆかしい秋田県人である私も、コンサルタントの男性が西日本の言葉で、
開業について熱く語っていくうちに、なんかトランス状態に・・・。

なので「先生、そのB会社よりも○○万安くします。うちでどうです?」
というようなことを言われた時は、「ええ!?なぜここで、値引くの?」と混乱し、
「いやー、それじゃ悪いですから」と反射的に答えていました。

・・・ま、秋田県人ですから。

私が、「失礼したのに値引かれるっていいのかしらね、人間として」
などともやもや考えているうちに、あれよ、あれよという間に、契約成立・・・。

こうして、めでたく担当になってくださったOさんは、
なんていうか、すごく、・・・スパルタでした、いろんな意味で。

それは、本当に後日、いやというほど、わかることになります。


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2回目 「間違いは、成功の元?」

 ある仕事のやすみの日、不動産から、
希望の場所に広めのテナントがあると連絡をもらい、見に行きました。

広々したクリニックが夢だったので、広さ的にも満足。

しかし、「金銭的には妥当なの?」「場所が決まったといっても、この先どうするのやら?」
疑問が出ても、誰に聞いて、何を読めばいいかもわかりません。

「やっぱり自力で全部は無理だな」と痛感した私は、
以前、ネットで登録したコンサルタント会社にいよいよ頼ることにしました。

お金は払うことになるだろうけれど、「一人でミスしたら意味ないし」と思いました。

すでにメールの返事は何通か着ているし、書類まで送られてきていました。

実は、コンサルタント会社は2社、登録したのです。

しかし、登録の際、1社はうまく、メールが飛ばず、エラーが出ていました。

ゆえに、わたしは、1社しか登録できていないと勝手に解釈し、
「B社さんと契約したいと思います」とメールを出し、一仕事おえたような気分になっていました。

すると、メール送信直後に電話が鳴り響きました。

「うちはB社ではありません」と言われました。

つまり、私は、本当は2社に登録に成功していたのです。

そして、A社に「B社さんですよね、契約します」という大変失礼なメールを出したというわけです。

冷や汗をかきながら平謝り。

言い訳しようとし、言うに事欠いて、「コンサルタント会社ってみんな似ていますし…」
と言ったところ、「全然違います!」と長い説明が始まってしまいました。

己の一言が地雷を踏んだらしい、とすぐ分かった私は、
「ここまで失礼こいたのだから、契約しないわけにはいかないよな・・・」と、
電話の向こうで熱く信念を語る見知らぬ男性の終わることのない熱弁を聴きながら、
ぼんやりと覚悟していました。

しかし、この出会いは、まさに僥倖となると後になってわかります。

このときは、「現代社会には珍しい熱い人に火をつけてしまったよー」と思っただけでした。


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1回目 「ある豪雪の日の誓い」

 高校を卒業した後、20年くらい秋田を離れていたけれど、1年半前に帰郷しました。

都会とか若い頃は楽しかったけど、ちょっと疲れたし、
秋田は医師少ないし、医療をするなら、地元でやろう、と思ったからでした。

秋田は、海産物もお酒もおいしいし、患者さんも穏やかでいい人ばかり・・・
だけど、やっぱり今まで関東にいたせいか思うのは、医者が少ない!

精神科もすごく少ないなあ・・・と、いうこと。

メンタルクリニックとか関東じゃ、あふれている印象だったけど、そうでもない・・・。

秋田でのんびり・・・という当初の目的を即忘れ、
「おしゃれで、ちょっと都会風の入りやすいメンタルクリニック私が作ればどうかしら?
ん、これ、いい考えなのでは?!秋田の患者さんの役にも立てるし、
そしたら、私もハッピーになれるし・・・あれもこれも、いい医療を提供したいわ!」と、
気が付けば、メンタルクリニックのない場所をおさえ、コンサルティング会社まで登録していたのは、まだ豪雪の冬の頃のこと。

この時の私は、開業がものすごく大変なことだと、全然わかっていませんでした。


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